2012年6月15日金曜日

場面のツールとしてのボードゲーム

ボードゲームを新規開発するに当たって、

「日本でボードゲームがプレイされるシーン」

をあれこれと想像しております。

ボードゲーム=人生ゲーム、と言っても過言ではない常識が根付いている現状では、単にボードゲームと言っても、その場面(シーン)を想像することが難しいことが多々見受けられます。

自分を含め、コアなファン層はゲーム会を開いて、或は参加してプレイすることがよくある光景と思われます。しかし、ボードゲームを日本に浸透させ、コミュニケーション豊かな社会というビジョンに近づく為には、現状ではボードゲームに関心が無い方々に”所有”してもらわねばならないと考えています。

ボードゲームユーザー、という観点で日本の人口をカテゴライズして考えてみました。
あくまで少ない経験を根拠とした主観であり、否定量的であり、アバウトな見解でありますが、以下の4つに分類してみました。


①コアユーザー(1)
・強い関心がある
・存在を認知している
・所有している
・頻繁に使用している

②アクティブユーザー(10)
・関心がある
・存在を認知している
・特に関心のあるものを所有している
・使用している

---------ここに1ケタの壁があるのではないか?----------

③スリープユーザー(1000)
・潜在的な関心を持っている
・存在の認知が無い、或は薄い
・所有していない
・使用していない

④ノンユーザー(10000)
・関心が無い
・存在の認知が無い
・所有してない
・使用していない


日本にボードゲームが浸透する
→ 直接的コミュニケーションの機会が生まれる
→ コミュニケーション豊かな社会の実現に貢献!

というビジョンに向かう為には、④ノンユーザーに存在を認知して頂き、良さを知って頂いて振り向いて頂く必要があると考えています。なぜなら、人口の数としてケタ違いに最大だと考えられるからです。

テレビゲームと単純に比較出来るものではないと思いますが、テレビゲームは15年ほど前と比べると、明らかにカジュアルにイメージチェンジを果たし、ノンユーザーを取り込んで今に至ると考えられます。

ボードゲームをノンユーザーに紹介したとき、私の経験ですと、「知らない」「イメージが持てない」というのがリアクションとして多い様に思えます。まずは存在の認知が大きな課題だと考えられます。

では現物を持参して「これこそがボードゲームだよ」と披露したとしても、まだ彼らの疑念は解消されないでしょう。

それを、いつ、だれと、どこで使用するものなのかが伝わらないからです。

伝わらない原因として、コア層としては、ゲーム会でプレイすべきという観念が強く、ノンユーザー向けのカジュアルなシーン(ゲーム会がノンユーザーには不適合という前提条件)を提案できないからです。

小奇麗な貸し会議室や、カフェを借りたとしても、ボードゲームという名目で誘う場合、私の考えでは未だハードルが高いと思います。わざわざ未知なる(というかオタクのイメージの)ボードゲームという名目で予定を空け、足を運ぶというエネルギーが容易に湧くとは思えません。

飲み会、交流会、ホームパーティ、勉強会、家族の団欒など、別の大義名分で開かれるイベントでボードゲームが行われるべきであると考えます。その場の目的に即したツールとしてのボードゲームであれば、抵抗無く受け入れられるのではないかと今は考えています。


飲み会のツールとしてのボードゲームとはどの様なものであるべきか?

交流会のツールとしてのボードゲームとはどの様なものであるべきか?

ホームパーティのツールとしてのボードゲームとはどの様なものであるべきか?

勉強会のツールとしてのボードゲームとはどの様なものであるべきか?

家族の団欒のツールとしてのボードゲームとはどの様なものであるべきか?


書いてるうちに、当たり前過ぎる事を書いている様な気がして来ましたが・・・せっかく久々に書いたのでアップしようと思いますww

まだまだ考察の余地がありますが、この発想からコンセプトが生まれないものかと試行錯誤中です!

0 件のコメント:

コメントを投稿