2012年4月9日月曜日

アナログである必然性

単に、共通のルールに則った場を共有した思考の場、で終わらせるにはボードゲームのポテンシャルを持て余している。なぜ私の中でマンションオブマッドネス(MOM)の評価が高いかと言えば、思考は勿論の事、感情すらも共有し、プレイヤー間を運命共同体として心理を同化させる事に成功している。

グラフィック、音響などを徹底的に駆使したテレビゲームでは、不思議な事に、この感覚を味わった事が無い。デジタルゲームは、モニターという物理的な障壁が”これはあくまでもゲームである”と無意識のうちに認識させられる(デジタルを批判しているのではない。デジタル特有の爽快感は、多くの人を魅了する)。

だがアナログゲームで心理状態を共有する場合、MOMだと、ダイスという”完全なる乱数”が自分(達)の意思決定に襲いかかって来る。また、対戦相手であるマスターの動きは、あくまでもマスターの”自由な選択”の下に進行する。これも、プレイヤーからすれば完全に読み切る事が出来ない要素である(こちらはデジタルでも置換可能だろうが)。

それだけ、”完全なる乱数”の存在はゲームをスリリングに演出する。そのスリルを共有する事で、デジタルではなし得ない”心理の共有”を達成し、それが、単にゲームとプレイヤーとの相互作用、プレイヤーとプレイヤーの相互作用に留まらず、人付き合い(ソーシャル)との相互作用を深い次元で達成する事が出来る。

このデジタル化が加速的に進んでいる世界において、パチンコという極めて原始的な娯楽が存在している事に着目すべきだ。家庭用ゲーム機でパチンコをやったとして、玉の挙動一つ一つが”最新技術でリアルに再現”と詠われたとしても、絶対にアナログに到達する事は無い。プレイヤーと、玉との関係性としての距離感が遠すぎるのだ。

アナログでしか表現出来ない可能性の空間を追求する事は必須の仕事。そこまで深堀りしなければ、最高のアナログゲームは生まれないと確信している。ロジックの職人芸の領域に有る。

常に勉強を続けて行く必要があるな。

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